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手元に残されていた一部の記事をこちらに転載します。
(c) Kasumi Abe

今月の指南者

フルモトRealty 社長

Tak Furumoto(タク・フルモト)さん

■プロフィール

第二次戦時下にTule Lakeの日系収容所で生まれる。ベトナム戦争から帰還後、ニューヨークに移り、1971年に東海岸で日本人初の不動産ブローカーに。74年会社設立。88年から活動を休止していたものの2003年から再始動。04年に東京、上海にオフィスをオープン。今後もソウル、ハワイ、LAと、続々とオープンラッシュの予定。

今回のテーマ

~業界歴34年のブローカーが分析~

「ニューヨーク、不動産バブルの行方」

不動産価格が高騰の一途をたどるニューヨークでは、お客様から寄せられる質問の一つに「価格がいつ下落するか」といったものがあります。私、ニューヨークで34年間この業界にいますが、過去を振り返ってみると、サイクルというものが何度かありました。我々業者にとっても、価格が今後どのように動いていくのかといった明確な時期や状況の予想は難しいのですが、これまでの歴史と照らし合わせながら考えてみると、ある程度の予測は可能です。まずこの30余年の歴史を振り返ってみましょう。

まず私が会社を作った74年頃。前年のオイルショックのせいで、経済がガタ落ちし、銀行からお金を借りられない多くの大手企業が倒産しました。それと共に不動産価格も多少落ちたわけです。ちなみ当時、モーゲージの金利は7.5%の時代でした。

値上がりしたオイル代に加えベトナム戦争も加わって、78、79年あたりになると今度はインフレになりました。インフレと同時に不動産価格もオイルショック時に比べると2倍近くに。それに伴いモーゲージの金利も7.5%から21.5%と、非常に高く引き上げられました。以上が1つのサイクルです。

次は80年代。レーガン大統領の時代になって、インフレが落ち着きます。しかし金利があまりにも高すぎるため、銀行がお金を貸してくれる状況にも関わらず借りられない状態で、倒産した会社も多く、不動産物件も売れない時代でした。80年代中頃には、金利が8~9%まで落とされ、不動産売買も再び活発になります。投資が増え、不動産価格はさらに倍になりました。以上、これが2つめのサイクルと言えるでしょう。

しかし86年終わり頃、アメリカ政府が不動産の法規を変えまして、それまで不動産投資をすればタックス面でいろいろなメリットがあったのですが、それが排除されてしまったのです。そこから、長い不動産業界の景気後退がはじまることになります。それには実は、日本経済の崩壊も絡んできます。80年代後半は日本がバブル経済で世界中の不動産を買い占めてきましたが、91年にバブルが崩壊。95年にはニューヨークの不動産価格が3割近く落ちこんでしまいました。これは、私がこの業界に入って価格が大下落した、初めてのできごとでした。

それ以降は記憶に新しいように、アメリカ経済は鰻登りに建てなおりました。金利も8~9%だったものがまた少しずつ落ちていき、現在は40年ぶりに1番安い5%前後になっています。そして不動産価格がどんどん上がっていき、現在のような状態に至ったわけです。

このように振り返ってみると、サイクルがこの30余年の間に3回あったというのがわかります。つまり約10年に1度のサイクルで、不動産価格が上下しているということです。

さて今後の経済の行方ですが、世界中でオイル代が高騰しているのと、イラク戦争でアメリカは散財していますから、これらが影響してくるのは確かでしょう。不動産価格は一向に落ちる気配を見せていませんが、このようなバブル期がこのままずっと続くとも思えません。

ただし今後不動産価格が下落したとしても、それは一時的なものであり、必ずその次には上がっていきます。この30年の歴史を見ても、それは如実にわかることです。不動産を購入された方も、また今後購入予定の方も、5年ぐらいで一喜一憂するのではなく、数十年単位という長期で保持し、長い目で見ていかれるのがよいかと思います。

(次号につづく)
  次号では、ニュージャージーの不動産事情についてお聞きします。 


(2005年6月)

協力:

フルモトRealty マンハッタン本社

Tel:(212)758-8118

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今月の指南者

フルモトRealty 社長

Tak Furumoto(タク・フルモト)さん

■プロフィール

第二次戦時下にTule Lakeの日系収容所で生まれる。ベトナム戦争から帰還後、ニューヨークに移り、1971年に東海岸で日本人初の不動産ブローカーに。74年会社設立。88年から活動を休止していたものの2003年から再始動。04年に東京、上海にオフィスをオープン。今後もソウル、ハワイ、LAと、続々とオープンラッシュの予定。

今回のテーマ

~業界歴34年、初の日本人ブローカーが語る~

「日本人コミュニティの歴史と、ニュージャージー人気の理由」

私がベトナム戦争から帰還した1971年に不動産のライセンスを取得し、東海岸で初の日本人ブローカーになったわけですが、幼少の頃、私が不動産業者としてアメリカでやっていけるとは夢にも思っていませんでした。

第二次世界大戦が終わった50年代、私は当時まだ小学生で、私の両親はロサンゼルス近郊で家探しをしていました。しかし、いくら希望の物件を不動産屋に問い合わせても、ブローカーは「その物件は今ちょうど売れた」と言うのです。他の物件もすべてダメでした。広告にはまだ“売り出し中”と載っているにも関わらず。当時の気風として「日本人には売りたくない」というのが、白人ブローカーからは感じ取れ、不動産購入は日本人にとってたいへん厳しいことだったのです。そんな時代でしたので、不動産業者になるというのは、言うに及ばず狭き門でした。

日本が経済大国となった今、家族を持つ日本人の多くが教育水準の高いエリアに好んで住む傾向にありますが、30~40年前まではまだ日本人の社会的地位が低く、ニューヨークエリアにおいて90%の日本人は現在のフラッシングに住んでいました。64年の東京オリンピック以降から日本の経済が急激に良くなり、日本人の地位が徐々にあがってきました。不動産業界でも日本人が受け入れられるようになり、私もブローカーとして免許を取得。その数年後、不動産会社を立ち上げることができたのです。裕福になった日本人は、フラッシングからマンハッタンやニュージャージーのフォートリーに流れていきました。その後、80年代からフラッシングには韓国人、台湾人が大量流入。さらにインド人や南米系の人も移り住み、現在のような街の形相に至るわけです。

さて、ニュージャージーのフォートリーが日本人になぜ人気になったかと言いますと、まずマンハッタンに比較的近く、昔から治安がよい上に教育水準が高かったということが理由に揚げられるでしょう。それに伴いたくさんの新築アパートが建てられ始めましたし、ヤオハンという巨大日系スーパーもオープンしました。現在に至るまで、駐在員をはじめたくさんの日本人に好まれているエリアです。日本人に人気の郊外エリアは、他にもウエストチェスター、リバーデール、ロングアイランド、ライ、グリニッチなどがありますが、その中でもニュージャージーが人気なのは、家を退去する際に税金がかからないことや、税金がニューヨークより低いためガソリン代なども安く抑えられるという理由があるからです。

(2005年8月)

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