iseeNY.com (現在廃刊) 2006年掲載
思えばこれが転機だった:第一線で輝くアノ人のサクセス・ストーリー

絵本作家
カズコ・G・ストーン(Kazuko G Stone)さんプロフィール
多摩美術大学グラフィック・デザイン科を卒業。73年に渡米し、翌年絵本を初出版。以後33年間にわたって絵本を作り続けている。これまで出版した絵本は24冊を数える。
「作品さえよくて先方の好みに合えば、必ず買ってもらえます。返事がないからといって、簡単に引き下がらないことです」
30年以上に亘って同じ場所でずっと1つのことに情熱を注ぎ込んでいる女性がいる。カズコ・G・ストーンがニューヨークに来たのは1973年。目的は、アメリカで好きな絵本を出版するため。
寂れた工場街だったノーホーにアトリエ兼住居を構え、ひたすら夢を追いかけた。今ではその工場群も影を潜め石畳のおしゃれな街へとすっかり様変わりしたが、彼女の絵本に対する情熱だけは何ら変わっていない。好きなことを天職にしたいと望むのは人の常だが、それは信念を貫きチャレンジし続けた者だけが許される特権だということが、彼女のこれまでを振り返るとわかる。
外国の絵本に憧れ、渡米したが…
倉庫街の名残がある重々しい鉄の扉。その向こう側には、カズコが33年に亘って住んでいる広々としたアトリエ兼住居が広がる。柔らかい光が差し込む心地よい空間。彼女は窓辺にある作業デスクに向かい、通算25冊目にあたる次作の下書きに取り掛かっているところだった。
「今でこそ絵本はカラフルだけど、私が渡米した頃のアメリカの絵本というのは2色刷りがメインでした。そんな時代に念願の絵本を、しかも4色刷りで出版できたときは本当に嬉しかったですよ」
そう言いながら、74年のデビュー作『Monster Mary Mischief Maker』を見せてくれた。ニューヨークに何らかのコネがあったわけでもない。ただ外国の絵本に憧れて、自分でもそれを作ってみたい、その一心でやって来たのだった。ところが来てみると日本で見ていた外国の絵本が、実はヨーロッパのものだったということを知る。
「でも当時の私は怖いもの知らずでしたから(笑)、だったら私がアメリカで斬新な絵本を出版しようと思い、日本で予め用意していた原画を携え、直接出版社に売り込みの電話をしたんです。まだ当時はアンサリング・マシーン(留守番電話)なんてない時代ですから、編集者が直接電話に出てくれアポイントメントは容易にとれました。ただいざ会ってみると、私の原画はファンタジーでアメリカ向きではないと断られましてね。当時のアメリカではプラクティカル(実用的)な内容の絵本が多かったんですね。それでも私は諦めませんでした。当時としては珍しい4色刷りにして、内容だけアメリカ向きのプラクティカルなものに作り変えたのです。それがこの『Monster Mary Mischief Maker』です」
今でこそカラーでファンタジーな内容というのは珍しくもないが、当時としては時代を先に行き過ぎていたカズコ。そのときは時代の波に少しだけ合わせたが、“自分が作りたいものを作る”という信念だけは忘れずその後もひたすら絵本を作り続けていった。そのうち時代が彼女の作風に追いつき、持ち前のエネルギーも手伝って、カズコはアメリカでの地盤を徐々に固めていった。
転機 : 副職で乗り越えた困難
自分の作品に自信があるならすぐには諦めないこと
“自分が描きたい絵本を出す”という信念の元に、日米でこれまで24冊の絵本を世に生み出し、現在では毎年コンスタントに2冊は出版している。98年には小林一茶の俳句を紹介した絵本『Cool Melons Turn to Frogs!』も手がけた。彼女が採算抜きでも作りたかったという念願の一作だ。このように絵本作家として大成している彼女だが、ここまでの道のりは決して平坦なものではなかった。
「大成なんて思いません。10年かけて作った作品がどこの出版社とも契約できなかったこともありますし、本当に軌道に乗るまでは20年ぐらいかかっていると思います。それに、絵本だけでは経済的に困難な時代もありました。ステディな収入を得るために、趣味で続けていたハンドメイドのシルクフラワーで教室を持ったこともあります。パーソンズやFITなどのアート・スクールに、飛び込みで打診したんです。そうすると私の作品を気に入ってくれてすぐにクラスを持つことができました。そこがアメリカのすごいところですよね」
“アメリカの”すごいところと彼女は笑うが、それは“彼女の”すごいところでもある。持ち前のバイタリティと“絵本を作る”という信念で、彼女は逆境を乗り越えてきた。そしてそのような経験を通じ、学んできたことも多いのだとか。
「シルクフラワーを置いてもらえないかとヘンリー・ベンデルに持って行った時に、担当者が名刺をくれたんです。それで2度ほど電話してメッセージを残したんですが、コールバックがなかったので諦めたことがあるんですよ。でもその話を他のバイヤーの人にしたら“名刺を渡すというのは興味があるんだから、1度や2度で諦めちゃダメ。もっと(電話を)バンバンかけなきゃ”って言われ、なるほどアメリカでは絵本であれ何であれ、作品に自信があるのならそれぐらいしないとダメなのだと学びました」
リスクを最小限にする為、交渉やマネージメントは慎重に
絵本作家というアーティストといえども、どこのエージェントにも属していない彼女は、出版社探しからギャラの交渉まで、ビジネス的な側面からもマネージメントをしなければならない。
「エージェントを通せば、仕事からギャラの交渉まで様々なことをしてくれるので、せっかく作った作品が出版社に売れないということもないわけですが、その分マージンを引かれるし、何よりエージェントの持ってくる仕事が私のやりたいことかどうかわからないから」というのが、自らマネージメントをする理由。
自分の作りたいものだけを作り、自ら売り込む。作品に絶対的な自信がある限りこれがベストな方法だが、作品が売れないという前述のようなリスクは伴う。それを避けるためにも「企画と絵を2~3枚先に見せて、出版社の反応を事前に窺うのは大切なことです」。
つまり、独り善がりを避けるためにリサーチは怠らない。そしていざ出版が決まれば、その後の交渉は慎重に進めることが重要だと言う。
「日本の場合、初期の段階で契約書にサインすることもないし、出版部数も直前まで流動的。逆にアメリカの場合は、ギャラから表紙カバーのデザインまですべてが契約書通りに進んでいきますから、サイン前の段階は特に慎重に進めなければなりません。ほとんどの契約書は出版社の都合の良いようにできていますからね。とは言っても、アメリカ人というのは会社のためではなく自分の為に働いているから、こちらもビジネスライクに交渉できて楽ではあります」
作品が良ければ絶対に買ってもらえる
時は21世紀。カズコがニューヨークに来て30年経った今、インターネットという便利なツールが台頭し、アーティストはその活動を世界中に一斉発信することもできる便利な時代になった。その一方で、昔は直接担当者と会うことが容易にできたところが、今では売り込みのためのメッセージを残しても返事がくることは期待できない、人と人との結びつきが希薄な時代になってしまったのも事実。
「もしも今のこのような時代に、あなたがニューヨークに来たとしたらどうやって道を切り開いていくと思いますか?」と、直球的な質問をぶつけてみた。
彼女は「そうねぇ」と困ったように少しの間考え、そしてこう答えた。
「アメリカの良いところは、周りの環境や状況にかかわらず、作品さえよくて出版社の好みに合えば買ってもらえるんですよ。日本と違って、肩書きやキャリアなども関係ないし。だからやっぱり手段を変えてバンバン売り込むでしょうね。例えば原画からカラーコピーを沢山作って、絵本を出している出版社に片っ端から送るとか。そして、返事をもらえるまで、簡単に引き下がらないことが大切ですね」
文中敬称略
(取材・写真/安部かすみ © Kasumi Abe)
最新作「なーんだ なんだ」
定価840円(税込)
パンダの姿がだんだん現れる仕組みになっている、乳幼児向け絵本。今秋にはその姉妹版「どーこだ どこだ(仮)」の出版も予定されています。
(問) 童心社 03-3357-4181 HYPERLINK
カズコ流 サクセスの格言
一、天職を見つけたければ、好きなことにチャレンジする
二、バンバン売り込み、1度や2度で諦めない
三、ネゴシエーションは慎重に。ドライに進めても大丈夫(NY)
略歴
東京生まれ。多摩美術大学グラフィック・デザイン科を卒業
1973年、渡米し、ニューヨークにアトリエ兼住居を構える
1974年、アメリカで絵本「Monster Mary Mischief Maker」を初出版
1975年、結婚
1976年、長男出産
1982年、彼女にとって初の日本語絵本「わにのアリゲー北の島へ」を出版
1984年、長女出産
1994年、やなぎむらシリーズの初版「サラダとまほうのおみせ」を出版
1998年、代表作「Cool Melons Turn to Frogs!」を出版
2004年、乳幼児のための絵本「なーんだ、なんだ」を出版
※総出版数は24冊
(*以下掲載されていた写真のキャプション情報)
CAP(本人)
32年間住んでいる、アトリエ兼住居のロフトにて。
CAP(制作風景1)
絵本の制作作業を進めるデスク回りは、いつもやわらかな光が差し込む。
CAP(クローズアップ)
現在は、やなぎむらシリーズの続編「くぬぎむらのレストラン」を制作中。この日はちょうど下書きの段階だった。
CAP(絵本4冊)
これまでの代表作。中でも小林一茶の俳句を紹介した『Cool Melons-Turn To Frogs!」』(右上)は彼女の思い入れのある一冊。
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